Sunday, October 01, 2006

祈りが感謝になるとき

Photo by Masahiro Masuno

インドでのコースの最後に、アチャリヤ・サマダシニ師が、講話をしてくださったのですが、その中の一つに「内側で信じていることが現実世界に現れます」というものがありました。多くの場合、私達が祈りをするときには、祈っていることと反対のことを奥深くで信じています。例えば、病気の人が健康を祈る傍ら、「自分は決して回復しない」と思っているようなことは多くあります。けれども、祈りと内側で信じていることは、同じ方向を向いている必要があり、そのときに初めて祈りがパワフルになるでしょう、というようなことを話されました。

最終日にネーマンに行ってアンマの個人的祝福を受けたときのことです。夫のことで心配事があり、アンマに彼といつも一緒にいて、彼を導き、守ってくださるようにお願いしました。アンマの目を見て祝福をして頂いたとき、すでに完全にそれが与えられていることが、初めてはっきりと分かりました。

それまでは、夫のことを祈る時、私は不安で一杯になりながら「夫をお守り下さい、夫を導いてください」と言っていたのです。けれども、アンマにお会いし、目を合わせたこの瞬間から、私の中の不安と心配は完全に止まりました。「消えた」のではなく、「止まった」のです。静寂な湖の湖面を見ているように、心が静かなのです。すでに与えられたことが分かっている、アンマの愛とお導きを思うとき、そこにあるのはただ、感謝だけだったのです。この日以来、私の祈りは「与えてくださる全ての恩寵に感謝します。アンマバガヴァン、ありがとう」というものになりました。内側で信じていることと、祈りが一致した瞬間でした。

これは自分でできたことではありません。今回祝福を下さったあの時のアンマのまなざしが、プレゼンスへの完全な信頼を与えてくださったのだと思っています。今も様々な思いや考えや、不安、心配、いろいろなものがやってきます。けれども、それらはすぐにプレゼンスの中に溶けていき、感謝がやってきます。この静寂さを、今はとても心地よく楽しんでいます。

アンマとバガヴァンのダルシャン


スタッフとしては3度目のインドから、先日帰国しました。今回のコースの目玉は何といってもアンマとバガヴァンが二人そろったダルシャンでした。それはそれは、パワフルで素晴らしかったです。私にとっても、最大の体験の一つが、この日に与えられました。

プレゼンスとの繋がりは、両親との関係が色濃く反映されるといわれています。私は、母親とは素晴らしい関係があり、いつもアンマ(聖なる存在の女性性的側面)との繋がりをとても強く感じていました。けれども父親との関係がうまく行かないことが多く、そのせいか、バガヴァン(聖なる存在の男性性的側面)と、なかなか繋がることができずにいました。以前に比べれば格段によくなったとはいえ、父親との関係を整えなければ、とはいつも思っていました。けれども、長年に渡ってもつれてきた関係を直視していくのは労力もいるし、痛みも伴うものであり、先延ばし先延ばしにしていました。そして最近は、「本当に必要なら、アンマ、どうにかしてよね」と投げ出したようになっていたのでした。

この日の、二人がそろったダルシャンでも、私はアンマにばかり気持ちが行き、いつもと同じように、アンマにお祈りをしていました。そのときあった心配事をアンマにぶつけた時、ビジョンの中にアンマが現れ、ただニコニコ笑っています。その笑顔のアンマが少しずつ遠くなっていくので、どうしたのだろうと思っていると、突然そこにバガヴァンが現れたのです。そして言いました。「Don't worry. I will take care(心配しなくていい。私が面倒をみるよ)」

その瞬間、私の中から小さな少女が飛び出してきて、バガヴァンの膝にしがみついてワッーっと大声で泣き出したのです。「おとうさん、どうして今までそばにいてくれなかったの?いつもいつも、ずっと一緒にいてほしかったのに、今までどこにいたの?」今までそんな思いが自分の中にあるとも知らなかった思いを、少女の私がバガヴァンにぶつけると、彼はただ嬉しそうに微笑んで、少女の私を抱き上げ、私のハートの中にスーッと入ってきたのです。

私はこの日思い切り泣き、父と、バガヴァンと、再び繋がることができました。この時から、私の中にいつもアンマとバガヴァン、二人ともがいてくれるのがはっきりとわかるようになりました。二人がそろったダルシャンで、アンマが与えてくれた大きなギフトでした。そういえば、幼いころに、父に怒られてしょげていた時も、母がいつも間に入って仲をとりもってくれたことを思い出しました。