Tuesday, January 17, 2006

集団の祈り

Photo by Masahiro Masuno

12月の21日間コースは、9月よりもやはりパワーアップしていた。3ヶ月くらいしか経っていないし、今回はそれほど前とは変わらないだろうとタカを括っていたが、それはあてが外れていたことになる。やはりディヴァイン・プレゼンスは日々拡大し日々強力になっているのだ。それはきっと、コースのことだけに限らず、私たちの内にあるそれ、もきっとそうなのだろうけれど。

すべては自動的に起こっていた。それは、本当に自動的なのだ。コース中にあったのは、少しの講義と少しの瞑想と、たまに映画とたくさんの休憩、たくさんの祈り、プレゼンスを讃える儀式。。。参加者がしなければならないのは、ただ望みを持ってそこに座ることだけ。。。それは見ていて感動的なプロセスだった。ただ儀式に参加し、それぞれに祈る、すると明らかにプレゼンスが強力にやってきて、その人に必要なものを与えていく。。。

ここまでは、9月もおそらく同じだったのだろうと思う。ただ、そこで自動的にいろいろな事が起こっていく過程がよりはっきりと見えただけかもしれない。9月のコースは、プレゼンスの目覚めに始まってプレゼンスと共に生きるところで終わった。12月は、プレゼンスの目覚めから始まって、プレゼンスと共に生き、そして集団として祈る事(Collective Prayers) に行き着いていた。それはそれはたくさんの祈りの時間があったのだ。

もはや、個人がプレゼンスと共に生きるだけではなくなっていた。個は存在しながらも、そこにはより大きなグループの意識が働いている。すべてはつながっていて、グループ全体のために祈る事で、個も進歩する。そしてグループとは、家族から始まり、友人、国、そして人類全体のことだ。はじめは小さなグループのために祈る。そのうちにその周りもすべて一つであることに気付いていく。。。そのような集団の祈りとは歓びの祈りであり、強力なエネルギーを持っている。たった一人ぼっちだと思っていた細胞は臓器となり器官となり、グループとして体全部に大きな影響を与えていくのだから。

私自身、ホントに長い間、自分は一人ぼっちだと思っていた。どこに行っても誰と一緒にいても完全に受け入れられる事はないという、深い深い孤独感とともにこの30年を生きてきたのだ。その孤独感が、この集団の祈りのなかで、まるで深い雪に閉ざされた北国の雪が春の光のなかで解けていくかのように、ゆるやかな流れをつくって「偉大なるもの」の中にとけこんでいったのだ。私は泣いた。男性グループの中での女性スタッフだったので、ダーサジと参加者の方たちが一緒に手をつないでいた中に入ったわけではない。実際には一人ぽつんと祈っていたにもかかわらず、これほど自分が何かの一部であると感じたことはなかった。うれしかった。

それは、大きな解放であり喜びだった。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home